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宇多田ヒカルの曲が聴けなくなった話(超長文)

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 ある瞬間から、宇多田ヒカルの曲が聴けなくなった話。画像は「Fantôme/宇多田ヒカル」より引用。敬称略・超長文です。

  

ある瞬間まで

 Automatic、Eternally、ウソみたいなI love you、Simple and Clean、、、、この辺りが好きな曲だろうか。特に、Simple and Cleanに関しては、キングダムハーツをプレイしてハマり、仮病で高校を早退して買いにいった思い出がある。

 アルバムは「FIRST LOVE」「DISTANCE」「DEEP RIVER」あたりまでは買ったが、大学に入学した2007年以降はあまり聞いていない。とてもファンを自称できるレベルではないが、光のミュージックビデオでは「もうちょっとしっかり皿洗ってくれ!」とかいっちょ前に思っていたし、【笑っていいとも】のテレフォンショッキングに登場した時は、髪型のセットに時間をかけた的なエピソードを聞いて、「いやいやそんな変わらんやん!」と思ったことを覚えている。

 

 みなさんは、宇多田ヒカルのLIVEを見たことがあるだろうか。僕が初めて見たのは「WILD LIFE」だった。だが、驚愕した。Beautiful World、Show Me Love Not A Dreamがめちゃくちゃ良いのだ。久々に聞いて、やっぱり好きやな~としみじみしたものである。

 

 ただ、それ以上に衝撃を受けたことがある。MCがまあ~~ぎこちないのだ。MCとは、曲と曲の合間に本人が喋るやつ。喋りが上手い下手ではなく、とてもぎこちない。たとえば、盛り上がってる~? いえーい! みたいな掛け合いがある。こうすれば観客は盛り上がるという類のMCは確実に存在する。そして、これもぎこちない。と言うか、上手くない。セリフを一つひとつ取り上げるのは性に合わない(なんか陰湿な気がするし)ので割愛するが、聞き取れない発言も多かった。

 そもそも、歌手なんだから喋る必要はないかもしれない。けれど、LIVEはファンとのコミュニケーションの場でもある。LIVEに行く客の多くは、MCに期待するはずだ。「どういう人なんだろう?」という疑問の答えになるし、その判断材料になるから。映像と生の違い、得られる情報量が異なるので当たり前である。

 そして何より、誘い笑いがなかった。喋った後に、アハハハ、フフフと自分で一笑いを入れること。別に面白くも何ともないことでも、とりあえず無理やり笑って雰囲気を作るというか、フフフと合いの手を入れる。これ、LIVEに限らず本当にする人が多い。テレビで見る芸能人のほとんどがしている。実生活でも、女の子は初対面の人や目上の人と話す時はする人が多いだろう。

 誘い笑いに対して、僕は常々思っていることがある。面白くもないのに、無理やり笑う人が多すぎると。しかも、誘い笑いをする人ほど、腹の底から笑わない印象さえある。けれど、誘い笑いをする人としない人。どちらが社会に適応しているかと考えれば、断然前者である。つまり、社会生活を営んでいくために必要な技術なのだ。誘い笑いが出来ない人は、嘘をつけないか、嘘をつくのが下手だ。これは論理的に証明することが難しいが、経験的にそう考えている。そして、僕は誘い笑いをしない。

 

 ここで言いたいのは、表に出る人としては非常に珍しいということ。理由はわからないけど、大勢を相手にすることが苦手なんだな、と伝わるには充分だった。そこからは色々なことが一気に脳内を駆け巡った。他のアーティストに比べてあまりLIVEをしない印象があるのはこういう部分なのかな、とか。元々感情が抑圧された人なのかな、とか。大人数が苦手だけど一対一なら話せるんだろうな、とか。

 【笑っていいとも】の時もそうだ。歌っている時と、そうでない時。そこには明確な違いが存在していた。音楽の評価が、自分の人間の部分の自信へ直結していないことは容易に理解できた。

 

 そして、日記には2013年9月23日と記してあるのだが、宇多田ヒカルが母のことを「あの人は……」と語ったことが一度だけある。これは記事になっていないので(おそらく)、僕の記憶が正しければ、という話になる。この言葉によって、すべての点が線になってしまい、曲が聞けなくなった話をさせていただきたい。
 ここから長々と自分語り入ります

 

点が線に

 30歳を過ぎてまで親をあれこれ言うのは、個人的に如何なものかと思う。そんな自分も好きじゃない。けれど、振り返ってみて気付くのだ。常に「母親から逃れたい」「縁を切りたい」「反面教師に」といった想いがすべての行動につながっていたことに。逆説的に言えば、僕の人生は母によって創られたことを意味している。

 何も知らない頃……自分が育った環境を客観的に分析できるようになる前の話。小学校の頃が顕著だろうか……僕は母が大好きだった。母の言う通りにしていれば良いと常に思っていた。

 わかりやすいのは、色々とやらされていた習い事。平日はびっちり埋まっていた。でも、本当は習い事なんてしたくないと感じたり、時には行きたくなかったりする時もある。そんな時、母は
「好きにしなさい」
 と必ず言った。好きにしなさいと言われても、好きにする意味も選択肢もわからず、思考が停止する。そして、罪悪感を抱く。その様子を見た母は、ますます不機嫌になる。結果、「ウチの子はどうしてこうかね」みたいなことをグチグチ言い出すのだ。

 また、何度も同じ箇所でピアノを間違ってしまう。すると
「なんで何度も間違えるの!」
 と怒られて頭をぶっ叩かれる。ある日、そのことを先生や友人に話したことを母に話したら、「なんでそんなこと言うの!」と激怒してぶっ叩かれたことがある。このようにして、「言ったらいけないんだ」と学ぶわけだ。僕に出来ることと言えば、顔色を伺うことだけ。母の機嫌が悪くならないよう、怒られない選択を選ぶのは自然なことだった。

 

 もう一つの問題が、親族とのつながりが非常に強い家庭だったこと。そのくせ、親族内で非常に仲が悪かった。後に気付くのだが、親族全員が本人が居ないところで悪口を言うのだ。けれど、話の内容……例えば、金の話になるとそれを表面上は変える。家族内政治とでも言おうか、事あるごとに何かしら揉めている印象が今ではある。

 そんな親族に会いに行く時、「じっとしてなさいよ」「余計なこと言いなさんなよ」など、とるべき態度を母に指定されていたことを思い出すが、当時はあまり意味がわかっていなかった。

 このように、当時の僕は主体性がなく、判断も出来ない。ただの言いなり人形だった。

 

 にも関わらずだ。学校ではそこそこモテた。例えば、小学校が休みにも関わらず、バレンタインにわざわざ家まで女の子が来てくれたことがある。覚えているのは、気持ちを伝えてくれる女の子にたじたじする当時の自分。主体性が0な上、自分の何が魅力的なのか、何も理解できないわけだ。好きと言われたから好きになるのは一部あったが、それよりも理解が追いつかないから行動に移せない。それまで喋っていたのに、告白されて以降、全く喋れなくなったことがそれを象徴している。

 そして、良い顔に産んでやったことに感謝しなさい、と母に言われるわけだ。この、「~してやった」という言葉が、母は本当に多かった。
 モテる人間の周りには人が集まる。それと同時に、期待も集まる。リーダーシップなり、決断力なり、笑いなり。何かを与えることを望まれる立場になっているのだ。しかし、僕は何も出来ない人間だった。特に、一対大勢で話すことは全く出来なかった。するとどうなるか……これは火を見るよりも明らかだろう。

 


 このような環境に置かれたおかげで、中学生のときには人の気持ちの流れが見えるようになっていた。誰が誰を好きで嫌いなのか、誰と誰が付き合いそう、という類の矢印である。

 中学生の時、同じクラスのリーダー格の女子にされた仕打ちが忘れられない。恋愛に人一倍関心はあるが、残念ながら自身は無縁というタイプ。他の女子の恋をすべて把握して応援する立場を貫いていた。クラスの男子とも積極的に喋っていたが、僕にだけは事あるごとに「言うなよ!」と個別に言ってきたことを覚えている。それは、その女子の好きな男子を僕が理解していることを見抜かれていたからだ。

 ある日、くっつきそうだな~と感じていた二人が、案の定くっついたことがあった。たまたまその瞬間を見てしまったのだが、同時にその女子に気付かれ、やっぱり「言うなよ!」と言われた。その数日後、半年間クラスの女子全員に無視されることになった。二人がくっついたことを察していたのは僕だけ。だから、言いふらしたのは僕しかいない、とその女子に見做されたのだろう。誰に言ったわけでもないのに、僕は迫害された。

 クラスの女子は、僕を無視することよりも、リーダー格に嫌われるデメリットを取ったわけだ。この経験は、女性の社会的な側面を学ぶには充分だった。そして、女の世界を理解されたくない女性がいることも。人が持つ自己顕示欲や自己評価を見る癖もついた。なので、敵意が及びそうだったら早々に切り上げる、みたいなことを僕はするようになった。

 

 しかし、高校進学を機にすべてが変わる。強烈な自我が芽生え、自分で物事を考えるようになった。そこで、教育は、良くも悪くも洗脳であると理解したわけだ。同様に、家庭は、良くも悪くも宗教であるとも。つまり、母親の言うことが正しいとは限らないと知った。

 この時の僕は、なんでこの親から生まれてしまったんだ……間違った洗脳をされてきたと怒りに溢れていた。悔しくて悲しくて、虚無感に支配されていたことを今でも思い出せる。
「いつになったら反抗期が終わるんかね?」「どこで育て方を間違えた?」「かなり良く(良い教育を)してやったと思うけどね」
 と何度も言われてきたが、これは反抗期のように一時的なものではないことがわかっていただけると思う。自分が生まれた環境すべてを苦痛に感じるようになってしまったのだから。

 15歳の時に考えていたことは、「なぜ生きているのか」「自分とは何なのか」「自立するためにはどうすればいいのか」。学校では教師に問題児扱いされては殴られ、家では親と喧嘩。居場所のなさと強烈な孤独感。友人や恋人といった人間関係に救いを求めるしかなかった。

 そして、「婿入りして縁を切る」と一つの結論が出る。このブログで何回か書いたが、婚活と同じことを高校生から始めていたきっかけが、この結論だったりする。
 大半の人間は、環境に対して相対的な存在である。必ず生物的な遺伝があるし、ある程度は相対的に育つ。適切な例かはわからないが、医者の息子は医者になる確率が高いことは知られていると思う。だって、幼少期から親を見ているから。医者を知っているから。人生に大きな影響を与える最初の人物が親だから。その感情がポジティブなものだった場合、親の影響を受けるのは当然だ。選択をするためには、選択肢に挙がるだけの知識が必要なのだ。まあ、この考えは僕が勝手にそう考えているのであって、共感を求めることもないのだが。

 

 問題は、僕が将来親になった場合。親に受けた教育と同じ教育をする可能性が高い。となれば、自分のような人間が育つ。この考えがスタート地点だった。

 恋愛には、タイプという概念がある。男性ならば好きな容姿や性格があるだろう。具体的には、顔が~おっぱいが~身長が~色々あると思う。これをまずは否定した。だって、間違った教育の結果が「タイプ」を形成したから。

 そして、これらを一つひとつ論理的に分析した。なぜそれが良いのか。なぜそのタイプなのか。恋愛ではタイプに縛られていつも同じ失敗する人が多いのに、なぜ改善できないのか。なので、僕はタイプを変える術を身に付けたことで、恋愛に活路を見出したと言えるかもしれない。また、女性を見る目だけでなく、とにかく人を深く知る。承認欲求をどこから得ているのか、何が好きで何が嫌いなのか、それは一時的なものなのか恒久的なものなのか。あらゆる事象に「なぜ?」を問う。

 なので、友人はもちろん、付き合った女の子のご両親から食事に誘われると必ず出席した。こういう子に育つには、どのような親御さんなんだろう? という好奇心であり、調査みたいなもの。気持ちの流れが見えるのだから、良い方向に流れるような会話を心がければ、その瞬間は好意を抱いてくれる可能性が高い。

 そこで気付くのだ。どの家庭にも色々ある。本当に色々ある。知りすぎて後悔したこともある。だけど、ウチは入り組みすぎているな、と。また、孤独は恋愛では埋まらないことを知った。

 

 大学受験だってそうだ。勉強は環境を変えてくれる手段であると、高校を卒業してからやっと気付いた。婿入りすることは間違った選択ではないが、自分で生き抜く力に欠けている自覚はあった。なので、大学に行って人生を切り開けるような人間になった方が良いな、と。

 上京後は、今まで教わったことをすべてゼロから学ぶ直すため、そして会話の引き出しを増やすため、読書に没頭した。このブログでも、その経験を少しではあるが還元しているつもりだ。

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 母との正しい距離感を理解したのは27くらいだったと思う。もちろん、母を変えようとしたこともある。今まで出会った人から得たコミュニケーションの成功体験を母に応用したことも多い。感謝の気持ちに溢れたこともあれば、親に対する価値観の違いで友人を失ったこともある。けれど、関わらないことが最も自分にとって幸せであると、何度も失敗して悟った。

 水と油のように思考が合わないので、基本的には喧嘩になっていた。歩み寄ることが出来ない人間がいて、己を絶対に曲げない人間がいて、話が通じない人間がいる。僕の場合は、それが母だった。

 失敗には、改善されるものとそうでないものがある。何度も何度も同じ失敗をすると、何一つ進歩していない現実に直面する。母との関係が上手くいかない時、親族間の悪口を聞かされている時……この時は、シンプルに言えば死にたい気分になる。無気力、ストレスフル、虚脱感。泣きたくなるけど涙は絶対に出ない。世間でマザコンは悪印象かもしれないが、僕からすれば羨ましい存在である。

 

 だから、母を「あの人」と呼ぶようになっちゃった。お母さん、母、おふくろ、ママ、マミー、マザー、下の名前、クソババア、色々な呼び方がある。言葉の背景に、敬意や距離感が表現されていると思う。でも、僕は「あの人」で落ち着くようになった。

 

 母親の顔色を伺っていた僕だが、今では人にどう思われるかをあまり気にしない。人生を通して、嫌われることや飽きられることに、もう慣れ切ってしまった。だから、誘い笑いもしない。めんどくさいと感じれば、空気も読まない。突き詰めると、相手よりも自分を優先させる。

 これは本当に皮肉というか悲しいのだが、習い事はすべて自分の身になっている……悔しいけれど、ナイスチョイスだと認めざるを得ない。また、「勉強しなさい」とも言われなかった。それも「あんたの人生なんだから好きにすればいい」という一言で終わり。結果的に、僕は学ぶことが大好きになった。

 

 兄妹が結婚・出産を経てからは母も丸くなった。披露宴での振る舞いは客観的に見て完璧に近いものだったし、僕の誕生日に連絡をくれる。挨拶に厳しく、礼儀正しい人でもあった。どれだけ憎くて嫌いでも母は一人だし、過ごした時間は絶対に変わらない。毒親と思っていた時期もあったが、毒親を称するほど毒は与えられていないと思う(これも相対的な話だが)。もしかしたら、毒に耐性を持ちすぎてしまったからかもしれないが、決して悪いことばかりではないのもまた事実。

 

 今まで、誰かのファンになったことはない。憧れや劣等感を本当の意味で感じたこともない。なぜなら、他人に影響を受けるだけの自分という存在がなかったから。

 だが、僕は今、宇多田ヒカルに複雑な感情を抱いている。

 15歳でAutomaticを表現する凄さが何一つわからない。それどころか、曲を作ることの難しさすら知らない。世界でどのくらいの影響力があり、経済を動かしているのかも知らない。どのような人生を歩いてきたかも知らない。だが、僕の人生で、母親のことを「あの人」と表現した人は他にいなかった。もちろん、過程や意味は違うだろう。それでも、他にいなかった。そして、誘い笑いをせず、一対大人数が苦手で、一人の人間として母になにかを思う者。常に孤独が視える人。……ただそれだけ。

 ここまで長々と書いたけれど、勘違いと指摘されても否めない。それでも、僕の中では点が線になってしまったのだ。この文章を書いていて思い出したのだが、Be My Lastなんて、初めて聞いた時からな~んか嫌な感じがしていた。今思えば、納得である。

 

 2016年に出したアルバム【Fantôme】の中に、道という曲があるらしい。ちらっと聞いた話では、母への想いが詰まった曲だという。とてもじゃないが、こんな人間に受け入れられる心境ではなかった。

 

今へ

 それから数年後、時系列は今に戻る。実はこの文章を書いた理由の一つに、LIVEのチケットが手に入ったことがある。なぜ応募したのかと言うと、夢を見たから。人生にはタイミングやノリといった抽象的な事象がある。僕はそういった流れに乗るのが好きだ。行くしかないんかな~と思いつつ応募、そして当選。僕は、かなり運が良い。運だけで生きている、と言われたことも一度ではない。

 LIVEに行くことが人生の最大の目的という人は、一定数いる。生きがいと言い換えても良い。でも、僕は違う。CDを買ったのもいつぶりだろう。マジでSimple and Cleanの時以来かもしれない。それに、音楽を毎日聞かなくても良い人間になった。人の声よりも、ピアノの音が好きである……。

 LIVEにしても、メリットだけでない。例えば、最前列。アーティストに絡める距離なので、見苦しいアホになってしまう人も多い(気持ちはわからないでもない)。近くで聞ける幸せと、アホを間近で見る不快感。歳を重ねると、後者が勝る。なので、ある程度距離が近く、静かに座って楽しめる場合じゃないと行きたくない。席によっては行くことを止める可能性も否めない。が、今の日本のチケットシステムではそんなことは不可能である。人混みも大嫌いなので、帰りが物凄く不安である。

 

 一つ言えるのは、己の中で、音楽に対して今までと全く異なるアプローチが生まれていること。勇気をもらうとか、また頑張ろうと思うとか、多くの人が言う姿が思い浮かぶ。少し異なる感情だが、アーティストの人生を自分と重ね、汲み取ろうとする姿勢は同じかもしれない。結果がどうであれ、自己啓発の一環になるだろう。

 音楽ってなんて素晴らしいんだろう……という感情が全身を覆う。最後にそれを感じたのは25歳がくらいだと思う。音楽の素晴らしさでも、人生の素晴らしさでも良い。今までに経験したことがない過程で、また音楽の魅力を再発見できそうな気がするのだ。

 2010年のWILD LIFEを最後に、最新アルバム【初恋】まで僕は聞いていないはずだ。一度は聞けなくなった曲だが、LIVEを通して、少し違った自分を知ることが出来そうな気がしている。

                       おしまい

 

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