2021年に開催された東京オリンピックで、特に強く印象に残った4人を個人的に振り返ってみた。記憶に刻むためにも。やや長文です。伊藤美誠選手、ローガン・マーティン選手、トム・ホーバス監督、熊谷紗希選手。
伊藤美誠選手のぐにゃぐにゃ
伊藤美誠選手は、今大会で最も試合数をこなした選手の1人という印象だ。水谷隼選手と混合ダブルスで金メダルを獲った瞬間は最高だった。
だが、記憶に残っている瞬間は異なる。女子団体戦の第2試合で、孫穎莎選手と対戦した試合だ。この試合の前にもシングルスなどで対戦していたが、孫穎莎選手には負けていたと思う。ゲームカウント自体、全く取れていなかったはずだ。
相手を圧倒する・徹底的に跳ね返すようないつものプレー(僕の認識では)が通用せず、伊藤選手が決めにかかるとネットに引っかかるシーンを何度も何度も見た。そして、その度に感情を表に出す孫穎莎選手。メダルを獲るのではなく、伊藤選手に勝つことをオリンピックの目的にしているようにすら見えた。
ただ、あのセットの後半だけは、今までの伊藤選手らしくなかった。プレーに明らかな変化があり、孫穎莎選手から唯一1セットを取った内容が非常に印象的だったのだ。
自分で決めるのではなく、相手のミスを誘う・ラリーに付き合う・1セット1セットでXYZ軸に球を散らす・気分を変えて遊びを入れるような……どれも的確な表現ではないかもしれないが、今までの伊藤選手の試合では見たことがないプレーの連続。ステップを刻み、ぐにゃぐにゃになるというか、視聴する側にも水をイメージさせるような柔軟性を感じた。孫穎莎選手との対戦では(相対的に)しゅんと気落ちするように見えていた表情も、このセットだけは少し柔らかかったと思う。
実際はわからないが、咄嗟の判断で自分を変えて、しかも1セットを取った現実に、僕は感銘を受けていた。それは、完璧に対策されていた相手を打ち破っただけでなく、己の壁を超えた瞬間、希望が見えた瞬間とも言いかえることが出来るのではないかと。もちろん、国を代表するような方と僕とでは、言葉の重みや定義は違う。違えど、そう感じさせてくれたのだ。
結果的には、この後のセットも取られて敗れてしまったが、今大会の伊藤選手のプレーの過程を見てきた僕としては忘れ得ない瞬間になった。
卓球を見ていると苦しそうな表情をしている方が多い印象だし(それだけ競争が激しいので仕方ないのかもしれないが)、勝負に徹しすぎてあまり楽しさは感じられない。だが、あのぐにゃぐにゃは違った。卓球って自由だし、そもそもは楽しいモンやったんやな、と。未経験の僕が言うのも変だが、そんなことを感じさせてくれたのだ。
伊藤選手のぐにゃぐにゃが、僕はもっと見たい。それはプレーであり、表情であり、人生でもある。そんなことを思った。
ローガン・マーティン選手の飛行
オリンピックが開催された意味というものを、個人的に最も実感したのがこの競技である。世界基準を知ると共に「このようなスポーツがある」と認知の側面も含めて。好奇心に従って生きてきた僕にとって、知ることはやはり嬉しい。
BMXとは――Bicycle Motocross(バイシクルモトクロス)の略で自転車競技の一種である。(Wikipediaより引用)
ただ、この記事で言及したいのはBMXという競技ではなく、ローガン・マーティンという個人。あくまで個人に魅了されたのだ。ミスターパーフェクトと解説者が言っていたが、BMXにおけるパーフェクトな存在なのだろう。技術的な部分は全くわからないが、ローガン・マーティンの演技はパーフェクトなんやな、と安易に納得しても何も問題ないように感じた。
ただただ、すごいのだ。見ればわかる。
具体的には、自転車を空中で手放して、空を飛んだ瞬間かな。←正確に表現していないが、たしかに自転車で空を飛んでいた。
今までに一体どれだけ転んできたのだろう。失敗は大事故にもつながりかねない。なんて考える余地すら与えられないほど、すごい。繰り返し見ても、ただただすごい。凄まじい努力があってこそ~みたいな、他者が言うと萎えるような過程を正当化する解説もなく、楽しく競技を見ていられたのも良かった。
ローガン・マーティンの視界をジャックしたい。その目線になりたい。彼の演技を、直接見に行きたい。好奇心がうずく。予備知識ゼロの人間が魅了されるのもまた、オリンピックの醍醐味なのかな。
【#東京オリンピック】世界No.1のトリック!#BMXフリースタイル 男子パークで金メダルの #ローガン・マーティン 選手。「#世界一のパークライダー」「#ミスターパーフェクト」の見事なトリックをどうぞ。#Tokyo2020 #gorinjphttps://t.co/oOdJnrK5cR pic.twitter.com/Mw58TzCTZS
— gorin.jp (@gorinjp) August 1, 2021
トム・ホーバス監督の熱意
僕はスラムダンクを脳内で読める。1ページ1ページを頭の中で再生していく……相手が3ポイントシュートに縛られるとラクだ、と山王工業の堂本監督も言っていたし、リバウンドの重要性を描いている作品でもある。が、テレビの前でリバウンドはあまりなかった。バスケットボール女子日本代表はとにかく、3ポイントを決めきるのだ。そして、めちゃくちゃ粘り強く守る。3ポイントよりも守備の方が個人的には印象的だったかな。シュートは海南の神、ディフェンスは陵南の魚住の反復練習が思い返される。初戦を見ていたので、日本のプレースタイルを理解したのは予選のフランス戦からである。
だが、準決勝のフランス戦では、シューターをガチガチにマークされて3ポイントが撃てなかった。3ポイントを決めないと話にならない、と解説者が言っていたので、基本はやはり3なのだろう。その後のセットでは、ポイントガードの町田瑠唯選手が無双……。ゴール前にドライブしてシュートを打てるのに打たない判断も面白いと思ったし、中と外を完璧に使い分けて、3も決めていた。次のプレーを全く予測出来なかったし、純粋に相手を嫌がらせていた。味方も敵も流れも完全に理解していた町田選手のプレーに、心奪われた人も多いだろう。ポイントガードが全てを切り開く瞬間というのもまた、僕の中でスラムダンクを超えていた。
何より、最終クォーターでは、流れが傾くと監督がタイムアウトを取って激怒していた。勝ちはほぼ決まっていた(素人目線では)にも関わらず。トップがこのような姿勢を見せることは、非常に、非常に重要だ。尊敬している人に怒られることの価値は、大人になれば嫌でもわかる。尊敬できないやつの言うことなんか聞けるわけがない、という僕の揺るがぬ価値観は、幼稚園から続けてきたサッカーによって形成されたのかもしれない(だから就職出来なかった)。
アメリカとの決勝戦では、3ポイントが難しいとわかると、ポイントガードを2枚に増やした。その判断も迅速で、個人的には痺れた。トム・ホーバス監督は、選手の心に火を灯していたと思うし、熱を伝えてもいた。その姿勢に人は心打たれるし、視聴者にも意図が伝わる采配は、結果的にファンを増やす。
僕のバスケ知識はスラムダンクで止まっていたが、現実のバスケそのものは競技として大きく進化していた。そのことに気づかせてくれたのもうれしかった。
熊谷紗希選手の苦闘
初戦のカナダ戦を見て驚いた。この試合、ゲームの組み立て・ドリブルでの仕掛け・そしてフィニッシュまで、すべてを岩渕真奈選手が1人でやっていたから。これはつまり、監督が5年を費やして1人の選手に依存するサッカーを作り上げたということでもある。そして、敗戦濃厚だったこの試合で、ワンチャンスを決めて次につなげた。決定機はマジでこれだけだった。チームが苦しい時、1ゴールでどれだけ精神的に救われるのか、経験者ならば痛いほど知っている。
サッカーマニアの友人が話したのは、選手選考から戦術までちゃんとしておけば全然トーナメントでも勝てたねという(僕はオリンピック前から見ていたのであまり同意出来なかったが)。ただ、僕も友人も2011年のワールドカップ優勝が基準になっていることを前提としている。確かに、2011年は選手が揃いすぎていたのは間違いない。ただ、基盤は超ハードワークであり、絶対的に戦う姿勢が視聴者にも伝わっていたのだ。それが東京オリンピックの本番でも感じられないのは、知っていたけど辛かった。そして、それに慣れつつあることも。。。
いつだったか、ポール・スコールズが言っていた。「新加入選手には、練習でチームの基準を教える」と。基準を長年保ち続けていたから、その環境が監督によって作られていたから、マンチェスター・ユナイテッドは強かったのだと。だから、岩渕選手・熊谷選手がなでしこを退く前に、基準を次の世代に伝えないといけない。だが、この5年でそれは失敗した。
ただ、二人はそれを理解していたと思うのだ。特に、キャプテンを引き継いだ熊谷選手は、明らかに監督以上の責任を負っているように見えた。日本代表での熊谷選手は、過去・現在・未来でなでしこを考えていたと思うし、現状を誰よりも理解しているからこそ、常に厳しそうで苦しそうな表情だったのかなと。クラブのCLで得点した時に見せていた笑顔なんか、代表では一度も見た記憶がない。僕の定義では、孤独にすら見える。もしかしたら、キャプテンに向いていないとすら思っているかもしれない。少なくとも、もっと責任を分け合えるようなメンバー構成にしてほしかったとは今でも思ってしまう。
スポーツだけでなく、人生もなんだかんだで弱肉強食が占める割合は大きい。勝つべきところで勝たなければいけない。成功体験を積み重ねていかないと、自信は身についていかない。結果が全てではないかもしれないが、結果が出なければ過程は正当化されにくい。(あくまで僕は自分の経験からそう考えている、ということです)
だから、2011年のメンバーが監督・コーチとして入閣して基準を伝えていくしかない。もう全員入閣してほしいくらい、、、と勝手に思っている。
あの時のようななでしこJAPANを見たい、と個人的には願う。そして絶対に、それは僕だけじゃない。絶対という言葉を極力使わないように生きているが、あえてここでは使いたい。2011・2012年は、本当に人生を救われるくらい、なでしこに勇気を貰ったから。
今年最後の記事になります。ここまで読んでくださり、ありがとうございました。来年もよろしくおねがいします。
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