僕の人生、変な人ばっかり!

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うんこを漏らして気付いた大切なこと

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大人になったのに、うんこを漏らしてしまった。そんな僕からあなたに伝えたいこと。

 

31歳、夏

 外出先でおならをする場合、周囲に人がいないことを確認し、音が鳴らないように空気の通り道を少し広げる。しかし、この時は指の補助をサボった。とても天気が良かったこと、周りに誰もいなかったことで開放的な気持ちになっていた。思い切って、放出してしまえ……!!


 けれど、その瞬間。油膜が膨らんで弾け飛んだような感覚があった。

 

 ーートイレでうんこをした後、トイレットペーパーで状態を確認することは大切だと言われている。しかし、会心の一便が出た場合、例えるならば、ウォータースライダーを摩擦一つなくすり抜けていくような時がある。一応紙を宛てがうものの、そこには何もつかない。この瞬間の喜びは格別で、歳を重ねるごとに増している。が、その逆もまた然り。キレが悪い日は落ち込む。血が出たり、違和感が残ることもあり、結果的にお尻にも良くない。そして、その感覚が確かにあった。

 

  幸い、歩いて20メートルくらいのところにコンビニがあった。コンビニには下着類が売っていたはず。もう一つ頭に浮かんだのは、トイレットペーパーで紙ふんどしを作成すること。発想としては面白そうだが、倫理的に良くないな、と考えていた。

 

 でも、二三歩歩いただけで、「あ、これダメなやつや」と考えを修正。何しろ、外気は30度越え。30度以上・うんこという言葉から、宿便が頭に浮かんだ。宿便が体に良くない理由の一つに、「体温でうんこを保存していると考えてみて下さい」と何かの本に書いていたことを思い出していた。

 それに、コンビニに申し訳ない。これ以上、店員の仕事を増やすわけにはいかない。覚えることが多い割に給料は低いし、見下される、と友人には度々聞かされた影響かもしれない。

 ベタな展開だが、お尻はもっとベタベタになっていた。

 

30歳を過ぎて

 30歳を過ぎて、同居人の彼女から「臭い」と言われることが増えて、自分の体臭に気を遣うようになった。元々、アクエリア⚫を飲むと右脇から怪しい臭いが発生する。それが最近、キレー⚫レモンを飲んでも怪しい臭いが発生するようになった。

 まあ、アレだ。自分では臭くなくても、他の人にとって臭い可能性があることを身をもって学んだのだ。

 

 ……家に帰ろう。

 

 幸い、誰かと通りすがることもなく、マンション内のエレベーターに同乗する人もおらず。ぽとぽと垂れていないことも、不幸中の幸いであると考えていた。

 脱いでみると、パンツは残念なことになっていた。油膜が弾け飛んだという表現は正しかったのだ。はあ……。ただ、これはまだ序章。本当に恐ろしいのは、自分のお尻である。恐る恐るお尻を鏡で見たら

 けつ毛で何も見えなかった。そう、けつ毛のカモフラージュである。

 イメージとしては、黄土色のシミがお尻にべっちゃりついてて、うわあ……最悪やわ。。。と嘆きつつ、ボディソープで丁寧に洗い流すつもりだった。でも現実は、ただただ黒々しいけつ毛がそこにあっただけ。そこにあったのは、けつ毛だけだったのだ。

 

 鏡の中の男は、うんこを漏らしたパンツを下ろした自分の尻を見て、そのけつ毛の黒々しさで感情を失っていた。ある種の賢者タイムと言っていい。

 

 そして、悲しみが溢れてきた。悲しいなあ。。。悲しい。うんこを漏らした時は、その瞬間よりも処理をしている時がみじめだと誰もが想像するだろう。しかし、その直前も悲しいとは知らなかった。思うようにうんこが漏れていないと、なぜか悲しい……。

 

尊厳を失う

 人として、大切な何かを失った気がしていた。

 もちろん、ピンチの時は何度もあった。一瞬でも気が緩めれば、一本丸々出てしまうような危機。限界突破に限界突破を重ね、あ~あ~ひ~ひ~あえぎながら、なんとか踏ん張った時があった。あの時に感じた一歩の重みを、僕は忘れていない。ただその後、我慢し過ぎて肛門がイカれた時は、漏らした方が良かったんじゃないかと思っていた。

 しかし、漏らしてみてわかった。漏らさなかったことで尊厳は守られていたのだ。

 

 うんこを漏らした人を見た場合、おそらく「汚い」と思うはず。これは差別でも何でもない。厳然たる事実である。なぜならば、「汚い」と言う人も、うんこをして、うんこを見ているから。その汚さ・臭さを身をもって知っているから。人間として生まれ落ちて、誰もが最初に通る道と言っていいかもしれない。そして、漏らしたことはなくても、漏らしてしまいそうになったことがある人は、九分九厘を超えるのではないだろうか(たぶん)。

  

 でも、最後に漏らしたのはいつだろう? 仮に幼稚園の時だとするならば、もう25年近くトイレで用を足してきたことになる。日数に直してみると、9125日。時間に直すと、219000時間。これは紛れもなく凄いこと。

 毎日、人はトイレに行く。必ずトイレに行くのだ。

 僕の場合、最後に漏らした日は思い出せなかった。幼少期に履いていたブリーフにシミがついたことはあるが、漏らしたとは認識していない。

 

早急に前を向く

 人生で最も学ぶべきことの一つに、「前を向く」ことがあると思う。それくらい、人生は壁ばかりだ。そして、挫折から立ち上がることは簡単ではない。未だに学生時代の挫折から立ち上がれない友人もいたりする。

 人の本質は怒った時に出るものではなく、挫折した時に出るんじゃないか。その時に、どのような思考を経て、リアクションをするのか。僕は高校生の時からそう考えている。その人がどのように受け止め、立ち上がるのか。受け止め方で得るものも異なるだろう。

 

 しかしである。

 うんこを漏らした場合、早急に行動を迫られる。尊厳を失っても精神的ショックがあっても、うんこを漏らしてその場に何時間も居続けることを、おそらく人はしないだろう。仮にしゃがみ込んで頬を濡らしても、状況は好転しない。そして残念なことに、涙は枯れてもうんこは残る。残ったうんこは悪臭を放ち、人に不快な思いを与える。

 だからこそ、本能的に、なんとかしなければならないと思うのだ。

  

健康に感謝

 大学時代、出会った大人に片っ端から【大人の定義】を聞いていた時期があった。

  • 社会に出たら
  • 人の痛みがわかったら
  • 国民の義務を理解したら
  • 子供ができたら
  • 酒が飲めるようになったら
  • それを聞いている時点で既に大人の一歩さ

などなど、どれも間違ってないと思う。でも、うんこを漏らして洗い流した時ほど、大人になった実感が生まれたことはなかった。

 人生一周したんだな、という謎の実感が全身を包んでいた。

 

 これも大学時代の話だが、仕事で知り合った女性の社長さんがいる。癌になって内臓を摘出して、長期入院。体調が改善してうんこが自分のお尻で切れた時に、それがどれだけ尊いことかを実感したという。普段、当たり前のことがいかに素晴らしいか。毎日がどれだけの奇跡で成り立っているか。そういった意味で感動したと。あふれる涙で語ってくれたことを思い出していた。

 僕は健康だ。ただ、それを最も実感できるのは、人の存在を介した時である。そういった意味で、まだまだ若い。うんこが漏らせるだけで素晴らしいではないか。うんこを漏らした後に、自信を持ってそう言える。

 

  漏らした現実とけつ毛を見て、尊厳を失った。うんこもけつ毛も汚い。けれど、洗い終わった後に、大人になった実感があった。挫折に違いはなかったが、ほんの数秒だった。そして、成長した実感は残っている。

 つまり、最速で成長できた出来事だったと言える。

 今後の人生、漏らした人に対して僕は優しくなるだろう。単純だけど、そんなモンだ。何より、人生にはもっと大きな困難がつきものである。

 

まとめ

うんこを漏らしたら、成長できた(気がする)。

うんこを漏らした人に優しくなります。

うんこを漏らして辛い人は連絡くれたら励まします。

 

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