「薬剤師国家試験に落ちた彼女を、僕は隣で見ていた」第十六話。名古屋で見た驚異的な女の子の話。
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2014年12月中旬(曖昧)
予備校が休みの日。行きつけのレストランへ向かうため、名古屋市営地下鉄東山線の本郷駅からバスに乗った。十九時くらいだったと思う。
バスの席って、足が入らないからあまり好きじゃない。正確に言うと、ひざが前の座席に当たる。だから、最後尾の真ん中付近に座ることにしている。ちなみに、彼女は最後尾の端に座る。
この日も無事に希望の席に座り、「今日も混んどるなあ」と思っていたら、僕らの前の席に一人の女の子が座った。重そうな旅行バッグを抱え、ジャージ姿で髪をきれいに結い上げているその姿はまさにチアリーダー。
女の子はバッグを隣に置き、その中からダースを取り出した。ダースとは、チョコレート菓子の森永ダースである。
急いで開封する様子から、部活帰りで食欲を抑えられないほどエネルギー消費をしていたのかな? なんてことを考えていた。すると、チアリーダーの手から一粒のダースがポロっと放れ、あれよあれよとバスの通路に落ちてしまった。
「あ」
それがキッカケで、ダースとチアリーダーの行方を僕は注視するようになった。ちなみに、バスが発車した振動で落としたわけではない。
一連の流れを見て、同情の気持ちに溢れていた。そして、ダース一個の価値について改めて考えていた。その名の通り十二個入りだが、体感的には六、七個。最初の一個を口にして、(バクバク……)あれ、もうこれだけ? となる最たる例の一つと言える。
三秒ルールも適用されない。と言うのも、落とした段階で、あわあわする感じは一切なかった。むしろ静観しており、手を離れた時点ですぐに悟ったのだと思う。地に堕ちたダースを見つめる瞳には供養の気持ちが溢れていたに違いない。
しかも疲れていて、さらには若い。……かわいそうに。でも、メンタルの鍛え方はさすがだと思ったことを覚えている。僕だったら間違いなく「あああ」と叫んで天を仰いでいるから。
ダースを落として8秒後くらい、バスが発車した。チアリーダーはゆっくりと身を投げ出してダースを拾った。
……かわいそうに。楽しみにしてたんだろうな。ゆっくりと行動した理由は、後ろの人(僕ら)に見られている=急いで拾ったら恥ずかしいから大人の対応をしよう、そう思ったのかな? そんなことを勝手に考えていた。でも、違った。
チアリーダーは拾ったダースを五秒ほど見つめて、ダースをパクリと口に含んだ。
(えええ? だって、えええ、バスやぞ? しかも通路! 大丈夫なん? バスの座席部分ならまだわからんでもないけど、マジか! 薄っすらと靴裏の形が見えとるところもあるのに!)
横を見たら、普段は無表情な彼女が、見たこともないくらい目を見開いていた。
その後、チアリーダーに異変は見られず。むしろ異変があったのは僕たちの方だった。何度も何度も顔を見合わせたし、僕は全身から汗が出ていた。自分だったら出来るだろうか? いや、出来ない。
混乱すると、脳を正常な状態へ戻そうとするらしく、様々な論理が浮かんでくる。
――きっと、菌と共生するって考えの持ち主なんだ。最近の子は清潔すぎて病気に対する耐性が弱くなっていると聞いたことがある。昔の子は砂場で遊んでいたからうんちゃら~……
でも、バスやぞ! せめてフーフーしてしてくれよ! 表面を爪で削るとか、ティッシュがないなら服で拭くとか!
これ以降のことはあまり覚えていない。が、チアリーダーの後ろ姿だけは強く印象に残っている。周囲の空気の粒子を輝かせながら、颯爽と髪をなびかせてバスを降りていった。
画像はイメージです
たとえ落としても、無理やり拾い上げてモノにする。あきらめない。この精神は学ぶべきだ。そう思った。
つづき
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